大正14年(1925年)9月30日、山口県大島郡周防大島町和佐に生まれる。本名、有近哲郎。
開導小学校、安下庄中学校(現・周防大島高等学校)を経て、子供の頃から憧れた高級船員を目指し、高等商船学校(現・東京海洋大学)に入学。昭和21年に卒業。日魯漁業のトロール船「第6あけぼの丸」に乗る。2年後、腎臓結核を発病、下船して摘出手術。以後4年間の闘病生活を故郷で送る。同人誌、文芸誌への投稿、家庭教師などに活路を求める。
昭和27年(1952年)、雑誌『平凡』の募集歌に入選した「チャイナの波止場」、昭和30年(1955年)、同人誌『新歌謡界』に発表した「むすめ巡礼」、昭和32年(1957年)、横浜開港100周年の歌募集で「浜っ子マドロス」「みなと踊り」が1、2位当選。作詞家への道を開いた。
昭和33年(1958年)、遠縁で幼なじみの有近朱實と結婚、後に一男一女に恵まれる。同年、日本コロムビアと専属契約、昭和39年(1964年)には日本クラウンの創設に参加し専属契約、その後昭和58年(1983年)にフリーとなる。戦後の日本歌謡界を代表する作詞家の一人であり、手掛けた作品は約3,000曲に及ぶ。
昭和61年(1986年)に紫綬褒章、平成12年(2000年)には勲三等瑞宝章を受章。日本作詩家協会会長、日本音楽著作権協会会長などを歴任した。
平成22年(2010年)11月15日、逝去。享年85歳。同日、正五位を贈られる。

代表作(年代順)
「思い出さん今日は」(島倉千代子)
「黄色いさくらんぼ」(スリー・キャッツ)
「出世街道」(畠山みどり)
「アンコ椿は恋の花」(都はるみ)
「函館の女」(北島三郎)
「三百六十五歩のマーチ」(水前寺清子)
「男はつらいよ」(渥美清)
「昔の名前で出ています」(小林旭)
「風雪ながれ旅」(北島三郎)
「兄弟船」(鳥羽一郎)
「女の港」(大月みやこ)
「雪椿」(小林幸子)
「みだれ髪」(美空ひばり) 

更に詳しい情報は、星野哲郎公式ウエブサイト「いろはにそらしど」をご参照ください。



写真:荒牧万佐行